形式の大切さ[はじめての即興作曲58]
木を見て、森を見ずという言葉がありますが、
アナリーゼをするときに、最初は、和声分析中心になることが多いです。
それも大切ですが、全体として、動機の使われ方を見るのも、とても楽しいものです。
どのような解説書にも、形式などのところに出てくるベートーベンの「運命」
ダダダダーンと言ったり、
運命の扉をノックする音だと言ったり、
それは好きなように想像して良いと思いますが、
最初の8分休符の後に、あの動機(モチーフ)が現れます。
ウタタタ ターン
何か動作をする時、腕お振り上げて打つ、
金槌で釘を打つにも、一旦金槌を持ち上げてから出ないと打てないですし、
座った椅子から立ち上がろうとすると、一旦、前に顔を出さなければ、
立てない。誰かに額を押されて・・・さあ、立ち上がってと言われても、
立てないというのを知って、ほ〜〜っと感心した記憶がありますが、
反動がなければ、次の動作が起こらないのですね。
息を吸わないと、歌を歌おうと思っても、息を吐ききった後は、声を出せない・・・汗
話が、また全然違う方向に行きました(笑)
第2主題は、とても美しく、
そのメロディを色々なかたが、さまざまな表現で、
その対比を表しています。天国の扉が開いたかのような・・・
全体を聞いて、暗い気持ちになる・・だから運命って、
確か日本だけの標題でしたか?
曲が売れるように、ベートーベンが生きている頃も、商業主義が入ってきた頃なので、
作曲家の意図せぬタイトルもつけられたという記憶がありますが・・
定かではありません。とにかく、それらの記憶は50年以上前、小学生の私が読んだ本の内容なので・・・汗(ご存知の方は、教えてくださいね。)
昔の通説は、現在では、全く通用しないものが、本当に増えました。
スポーツにしても、運動の最中に、水は飲むなと言われた若い頃、
今、そんなことを言ったら、大変です。
卵も、1日に1個と言われた昔、今は、完全食品と言われ、数量は気にしなくていい。
食べ過ぎはなんでもいけませんが・・・。
だから、私の昔読んだ本の内容も、現在は、神話のお話みたいになっているかもしれませんね。
今日は、どんどん話が遠くにいってしまいます。(大汗)
お庭を拝見しても、全体としての形式を眺め、回遊式であっても、
ここに滝がある、ここに石が組まれている、などばかりとらわれていたら、
全体の構造の美しさが理解できなくなるということを感じたお話をしたかったのでした。
運命の動機の数を数えるより、使っていないところを探すというのも、やってみようかと、ふと思いました。学生時代、友人が、100個まで数えたけれど、その先、あってるかどうかって、スコアに書いていたのを思い出します。40年前のお話。まだスコアは家にあります。
あれだけ使った動機を、全体として、どうまとめたのか、
メロディが、ハーモニーが、どのような働きをして展開していったのか、
全体としてどのようになったのか、想像するだけでも、
とてもワクワクします。
門真直衛先生の著書の中に、(音楽形式 引用)
「和声や対位法は、形式を研究するために勉強するようなものである。和声でくたびれてしまって、形式まで及ばないでやめてしまう人があるが、これでは、列車に乗るには乗ったものの、酔いで下車して引き返すようなもので、結局何にもならない。
音楽を徹底的に理解しようとするならば、なんとしても形式を知らねばならない。
音楽を一通りただ理解しようとするだけならば、和声や対位法や楽器の用法などの詳細な技巧的なことなどはどうでもいいとして、形式の常識だけは、ぜひ備えていなければならない。形式のことがざっとわかると、音楽の大体がわかったことになる。」
0コメント