文部省唱歌から童謡へ[はじめての即興作曲38]
土曜日のメルマガ、(2021年11月27日)毎週届くリーラムジカ代表 藤 拓弘先生のメルマガに、 菊地裕介先生とのお話が載せられていました。そのお話を伺って、私が思ったこと。
私は、50代前後の10年間、高齢者施設で、看護師さんとレクリエーションインストラクターさん、そして私(音楽担当)の3人で、音楽レクリエーションを開かせていただいていました。
仕事として、毎週朝から夕方まで、デイサービスから、三階まで4回。
おしゃべりや体操や歌やクイズなど、楽しい集いでした。
10年は、あっという間。
その間、たくさんの方と会話させていただき、
たくさんの歌も歌いました。
文部省唱歌には、涙される方も、多くおられ、
思い出話に、花が咲きました。
今でも、その歌詞の意味を理解できないまま、歌っていたものもあります。
文語調
そして時代は、大正時代。
大正期に生まれた「童謡運動」「赤い鳥運動」
日本では、日本の誇る詩人たちの作った歌が、子供たちに広まっている、
アメリカにとっては、日本の将来が怖いと思った、という話が残っていると
当時、色々な文献を調べているときに載っていました。
子供のための芸術的な歌。
海外のわらべ歌・民謡のような、子供向けの歌は、当時、
どのようなものだったのでしょうね。
明治に作られた歌は、子供たちには、理解できない。
と考えられ、子供にも親しみを感じられる言葉や歌になったようです。
ところが、高齢者の方々は、文部省唱歌に関して、
小さい頃、なんのことか、さっぱりわからずに歌っていた。
けれど、そういう自分の知らない世界があるのだということを理解した。
これは、とても勉強になり、今でも、よかったと思う。
と、お話になりました。
そういうことから、文部省唱歌をたくさん覚えておられ、私たちも
たくさん歌う機会を与えていただけたのです。
四季を読み込んだ歌、母を思う歌、故郷を思う歌など、
その深さを、年齢とともに、歌の歩みとともに歌い続けてこられたのだと。
100歳のしっかりされた女性から伺うことができました。
優しく理解できることが、子供にとって良いとは限らないということです。
中学生で、大学の本を読んだり、専門書を読んだり、
昔は、家に百科事典というものが、あったと思います。
よく、何十巻とある、重くて大きな本を開けて、
知らない世界や、写真やイラストを見るのが、楽しみでした。
子供向けの本、教本といったものを考えてしまいました。
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